T氏がこの世を去ったのは、5月の爽やかな風が吹く頃でした。
いわゆる「地元の名士」であったT氏は、精力的に仕事をこなし、豪快ながら人への気配りも忘れない、優しい心根を持った人でした。交際範囲もかなり広く、さまざまな葬儀に出席していたので、私達とも顔なじみ、といった存在でした。
T氏の葬儀は、「社葬」としてとり行われました。
葬儀場2階には「大・中・小ホール」がありますが、人数によってスペースを調整できるよう、仕切りを動かせるようになっています。T氏の葬儀は、2階の仕切りを全て取り払った状態で行われ、参列者は650名を超えるものでした。社葬は厳粛に、そして穏やかに進行し、全員でT氏の冥福を祈ったのです。
葬儀から少し日をあけて、ご家族からの申し出によって「T氏を偲ぶ会」を催すことになりました。社葬とはまた別な形で、親しかった人たちでT氏の生前の思い出を語り合いたい、ということです。
「T氏を偲ぶ会」の会場準備は、前日の夕方からはじまりました。社交家だったT氏のこと、「偲ぶ会」といっても参加予定者は80名です。「偲ぶ会」のために多数の胡蝶蘭が届けられていたので、会場のあちこちに胡蝶蘭を飾り、中央のテーブルにはユリ、トルコキキョウ、カラー、かすみ草の大きなアレンジメントが置かれました。
そのとき、一人の老婦人が会場に入ってきました。
髪を結い上げ、薄墨色の着物で歩くその姿は、とても身のこなしが美しく、思わず見とれてしまうほどでした。
「あの…“T氏を偲ぶ会”の会場はこちらでよろしいのでしょうか」
「はい、確かに会場はここなのですが、会は明日の10時からになっております」
すると、その老婦人は静かに話しはじめました。
「私は生前、T氏に大変お世話になりました。でも、“偲ぶ会”に顔を出すなんてことは…心から尊敬していました…優しい人でした…ほんとに…」言葉の最後は、涙と一緒に消えていました。
この老婦人とT氏とは何十年来の付き合いだ、という噂を耳にしたことがあります。日本の婚姻制度からすれば、褒められた付き合いではないでしょう。それでも、この老婦人がT氏を慕う心は本物であると思いました。
「勝手なお願いをして申し訳ないのですが、Tさんが好きだったこの花、供えて頂けませんでしょうか」
-都わすれ-
清楚で可憐な青い花…大柄で豪快なT氏が、こんな可愛らしい花が好きだったなんて。
私は、会場にあるT氏の写真の近くに、都わすれをそっと置きました。
胡蝶蘭や豪華なフラワーアレンジメントの陰で、ひっそりと咲く都わすれは、その老婦人にどことなく似ているようでした。

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